他者依存性の強い風雅舞人さん

色々と今日思ったので忘れないうちに記しておく。
まず、俺は孤独は決して嫌いじゃない。
ピザポテト食いながらコーラを今も嗜んでいたのだが、これは部屋に一人の時が最適だ。
白い壁にもたれて天井を見ながら「大抵の人が見る『終わりの風景』ってこれなんじゃねぇかな」とか
考えるのも悪くないし、大学傍の田舎道を音楽聴きながらテクテクするのもありだ。


だがしかし、人と一緒に過ごすという行為はそれらを遥かに上回って楽しい。
そのためならバドミントンの練習が終わるぐらい待つのも
生徒会選挙出馬準備の手伝いをするのもアニメイトへ付いていくのも
バイト先で出待ちするのも何のことはない。
その程度の苦労や手間を補って余りあるものが人と過ごす時間にあるからだ。


ついでに述べれば、損得勘定のない人間関係なんて一つもないと思っている。
当然金銭や物的なものだけの話ではなく、他人と過ごして楽しい時間を享受する事と
他人と過ごすことで使うコスト(あるいはストレスなどの見えないものでもいい)を
人は無意識に天秤にかけていると思う。
仕事の付き合いだから嫌々接待するのももちろんプラマイ計算の上だろう。


もちろん、「俺は今すぐ寝たいんだよだからマンガとか読まずに帰りなさい」とか
思う時だって当然ある。上記の考えだけが俺の規範じゃない。


んで、何でこんなこと書いているかというとですね、
いつも慕っている先輩(♂)がいるわけですけど、たまに(`皿´)ウゼーとか思っているときも
あるんだろーなと思うんですよ、今日は丁度合流しに行ったら会議じみたことになってて、
ただでさえベタベタしすぎとか言われてるみたいで、またも恥をかかせたなぁとか思った。


別にウザがられるのはまあしょーがねぇっていうかハリネズミのジレンマですが、
俺はそれも考慮した上でなお
「まー俺は楽しいからいいか」と思っているわけでまあ割とエゴ入っちゃってますけど。


要するにそこを見くびらないでもらいたいってーことかなあ。
俺は友情とか愛だとか、凄い大切だと思うし、
他人がいるから俺の幸せはあるんだと確信しているけど、


だからってそれを不変だとか絶対だとか永遠だとかは感じてないってことだ。
親だって最後のところで俺を信じ切れない、ってことも何度かあったし。


けど、移り変わるから、脆いから、大事にしなくちゃいけないと思うし、
脆さを知っているから続く事の価値がわかるって側面も確かにあるんだよね。


だから、俺は友人を大切にしているんじゃなくてもしかしたら
「友人を大切にすることで保たれる俺の幸せ」を大切にしているだけなんじゃないか、
とかたまに思うんですよね。
それで結果としてみんなハッピーならいいじゃん、ともあわせて考えてますけどね(笑)


なんてこと思いながらボンヤリと忘年会の予定を立てたいと思いますー。