マナーについて『寛容という名の不寛容』

立て続けに同じような議論の流れを見たので。

 

一つは、映画館の鑑賞マナー。

 

上映中のおしゃべりがだめ、までは流石に共通認識として、

エンドロール中のおしゃべりにフォーカスされてたかな?

 

それについて、『マナー警察が行き過ぎてる』と。

また引っ張ってこれたらリンク貼りたいけど、

要するにそのぐらい寛容な場所としてあれと。

じゃないと映画館は映画好きしか来なくなると。

 

一部やや正しいなと思うのは、マナーにうるさい人がいると、

いわゆるカジュアルな層、人気作や話題作だけ観に来て

マナーについて注意されることで映画館に来なくなるってのはあるかもね、と。

 

でもその分静かに映画を最後まで観たい人が来なくなる気もするけどな。

 

あと、やたらと『ルールじゃなくてマナーなんだから人に強制できない』みたいな理屈。

いや、マナーって守らなくてもペナルティがないだけで、守るべき規範には違いなくない?発言者のモラルが怖い。

 

 

もう一つ、伏見稲荷で踊ってた外国人に対して。

 

https://x.com/bokuranoijyu/status/2097241972763504926

 

同じような理屈なんだけど、思うのは…

『マナー違反に寛容になろうよ』って、

神社の思いを蔑ろにしてまで押し付ける権利あります?

 

神社の人が嫌がってることをやるのに赤の他人のあなたが赦すって傲慢じゃない?

 

もう一つ、そう心に秘めて、ダンス動画見ても『ま、ええわ』って済ませるならそれはあなたが寛容ですね、だけど

 

それを心を痛めてる人に絡んで『寛容さがないね』なんて言い出したら、人の心情に対しての寛容さが足りてないでしょ。

人にはいろいろな考えの人がいる、

ルールやマナー違反が気になる人がいる。

 

そういう人に『お前も寛容であれ!我慢しろ!』と圧をかける。

 

多様性の話や戦争反対の議論でも思うけど。

 

まず、多様性を押し付けられて嫌な気持ちになる人も含めた多様性であり、戦争反対の主張に対して防衛戦争のあり方みたいな議論をかけてくる人たちとも対話しない(コメントやリプ欄閉じるとかブロックとか)姿勢でどうやって外交で平和を導けるのか、みたいな

 

優しいようで、寛容なようで、何も本質的にはそうでないなって光景をよく見ますって話

 

 

常に誰かが手を叩いているーー現代ライブシーンにおける「過剰クラップ」

【長く読んでられない人向けこの記事のまとめ】
・近年の過剰な手拍子は、コロナ禍の「声出し禁止」が生んだ行動規範の刷り込みや、客層の年代によるノリのズレ、フェスの大衆化などが複雑に絡み合って起きている。
・モッシュやダイブと違い、手拍子は「音」が出るため、周囲の鑑賞環境を強制的に侵害する「逃げ場のないノイズ」になり得るリスクを孕んでいる。
・しかし手拍子そのものの否定ではない。名曲には手拍子した方がいい、そういう「最高の瞬間」があるからこそ、思考停止の義務や同調ツール(観測気球)として消費せず、ここぞという瞬間のために「楽器」として手を温めておくべきだ。

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いつからだろうか。ライブハウスやフェスの客席で、「静寂」や「純粋なグルーヴ」に出会える機会が目に見えて減ってしまったのは。

いや、

ライブマナーって笑

ライブにマナーって笑

 

みたいな冷笑を2010年ぐらいには目にしてたので、「ライブとは自由な空間」とか言われちゃおしまいよ。でも人は蹴らないほうがいいし、人の耳元で歌ったら駄目みたいなのは存在するよね。

 

と前置きする

 


イントロが鳴った瞬間から、ステージからの全力で手拍子を煽る。 メロコアバンドなどでは、そういう曲もある。

 

ただ、最近のロックバンドの一曲目は手拍子から!が定番化してるように見える。

 

そうなってしまえば後は、煽りがあろうがなかろうが、判で押したように巻き起こるクラップの嵐。転調しようが延々と鳴り止まない手拍子。

 

サビですらまだしつこく聴こえてきたりする。

 

 

耳を澄ませば、本来聴こえるべきドラムパターン、サビ前のフックになるブレイクすら、容赦ない不揃いな打楽器の音に掻き消されている。

 


現代のライブシーンは今、深刻な「手拍子の過剰供給」に陥っているのではないか。それも、音楽への衝動とは程遠い、歪んだ形の。

 


### 1. コロナ禍の「遺品」と、若年層への刷り込み


この過剰クラップの背景を語る上で、2020年からの数年間、世界を覆った「声出し禁止」の制約を無視することはできない。

 


NELKEやWurtS、Aoooといった、まさに2020年前後から頭角を現した気鋭のアーティストたちの現場を観ると、その影響は顕著だ。彼らのファン(というか、自分も好きだ)層の多くは、ライブという人生初の初期衝動を

「声を出すな、手を叩け」という厳格なルールの中で迎えた世代である。

 


彼らにとって、手拍子は単なるノリではない。「ライブとは、最初から最後まで手を叩いて一体感を得るもの」という、強烈な行動規範の刷り込みなのだ。

 

アーティスト側もそのカルチャーを前提としてステージを構成し、客席を煽る。結果として、曲のダイナミクスや文脈を無視し、ただ「常に誰かが手を叩いている」という平坦で、どこか義務的な空間が完成してしまう。

 

現代の気鋭、WurtSのライブにおける「ウサちゃん」が手を叩くパートに代表される、わかりやすいガイダンスについても触れたい。

「ライブの正解なんてナンセンス」という価値観もあるだろうが、どうしたら良いのかわからないお客さんへのガイドラインとして機能している。

ただ、大抵の客はウサちゃんが叩いてなくても叩くのだが。

 

また、ポルカドットスティングレイやずっと真夜中でいいのに。

などのアーティストは、観客側から出る音が

他の観客にとってノイズになることを認知しており、

特にグッズに団扇やしゃもじなどがあると、

親切にも「叩くと音が大きいので場面にあわせて叩いて」というようなアナウンスをしてくれてたりする。

 

するが、それでもなお、「ライブとはそういうもの」という固定観念なのか、もはや無意識なのか、

何割かのクラップ音、なんならしゃもじ音は止まない。

 

また、後段で述べるが、まさかロックバンドのライブで「一切の手拍子をやめるべき」などと思ってない。Aoooでも、Yankeeなど、曲中に入っているクラップ音に合わせて手を叩くのはステキなことだと思ってる。

 

### 2. ミドルエイジの「忘年会ノリ」という別ベクトルのノイズ
一方で、この問題は何も若い世代に限った話ではない。

 


例えば、Reiのような圧倒的なプレイヤビリティを持つ若手実力派の現場。ここでは、演者の若さに対して、耳の肥えたミドルエイジのオーディエンスが多く集まる、はず。

 


若い世代のような「同調圧力的な一体感」こそないものの、ここでも別の問題が発生する。彼らは周囲の空気を読むことなく、個々の判断で「パラパラ……」と手拍子を叩き出すのだ。

 


卓越したギターリフや息を呑むグルーヴをじっくりと“聴く”べきセクションであっても、彼らの手にかかれば、まるで居酒屋の忘年会かのような、締まりのない冗長なクラップへと変換されてしまう。勿論誰も悪意はない。

 


### 3. フェスに侵入する「手拍子だいすき民」と、大物のワンマンとの乖離
この過剰な手拍子カルチャーが、フェスというマスな空間に持ち込まれたとき、悲劇は最大化する。
顕著なのが、BUMP OF CHICKENやサカナクションといった、百戦錬磨の大物アーティストがフェスのステージに立った時だ。
彼らの単独公演(ワンマン)であれば、長年培われたアーティストとファンの信頼関係、そして楽曲への深い理解があるため、「聴くべき静寂」と「乗るべき熱量」のメリハリが美しく保たれる。
しかし、フェスに大量流入する「手拍子だいすきオーディエンス」の手にかかれば、ワンマンでは絶対に聴けないような、情緒を無視した「手拍子の嵐」が容赦なく巻き起こる。固有のライブカルチャーが、フェスの大衆化によって均一化され、ダサく平坦に消費されていく象徴的な光景がそこにはある。
### 4. 音楽への愛なき「観測気球」としてのクラップ
なぜ、彼らの手拍子はこれほどまでにノイズとして耳に障るのか。
その本質に迫るため、さらに客席のノイズに耳を澄ませてみると、極めて冷める瞬間に出会う。
彼らの中には、曲が好きで堪らなくて叩いている人ばかりではない。イントロが始まった瞬間、「とりあえず」手を叩き始めるやつらが確実にいる。そして、周囲のノリが思ったより悪く、自分に追随してこないと察するやいなや、何事もなかったかのようにスッと手を下ろすのだ。
彼らにとって手拍子とは、音楽に突き動かされた衝動などではない。自分がその空間から浮いていないかを確認するための「観測気球」であり、「同調の確認作業」に過ぎないのだ。そこには楽曲への愛も、ステージへの理解も、何ひとつ存在しない。
### 5. 誤解しないでほしい、「手拍子」そのものを否定しているわけではない
ここまで随分と辛辣に現代のクラップ事情を解剖してきたが、筆者は決して「ライブにおける手拍子」という行為そのものを完全否定したいわけではない。むしろその逆だ。あの空間における手拍子には、間違いなく「正解の瞬間」があり、鳥肌が立つほど幸福な一体感を生む装置になり得ることを知っている。
例えば、the pillowsの『ランナーズハイ』のあの疾走感。ストレイテナーの『シーグラス』のサビ前にピタッと止む手拍子。

 

a flood of circleの『世界は君のもの』のあのリズム。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『君の街まで』のPVのザリガニがチラつくあのパートや、

サカナクションの『セントレイ』、あるいはUNISON SQUARE GARDENの『きみのもとへ』『フィクションフリーククライシス』

どれも一オーディエンスとして、手拍子パートの一体感が好きだ。

 

これらは楽曲のDNAやステージの演出として明確な「フック」として機能しており、オーディエンスが音楽と正しく対話した結果生まれる、必然性のあるクラップである。

 

私たちが愛したロックバンドの現場には、いつだって「ここしかない」という奇跡的な手拍子の瞬間が存在していた。

 


### 6. 本当の問題は、思考停止した「インフレ」と「逃げ場のないノイズ」
では、なぜ今これほどまでにライブハウスの手拍子に息苦しさを覚えるのか。
それは、手拍子の「過剰さ」が、その奇跡的な価値すらも貶めて(インフレさせて)いるからだ。
ここで、ライブハウスにおける他の「ノリ」であるモッシュやダイブと、手拍子との決定的な違いについて考えてみたい。
モッシュやダイブといった肉体的なアクションは、嫌ならそのエリアから離れ、物理的に「距離を取る」ことで回避できる。空間を切り分ければ、自分の鑑賞環境を守ることは可能なのだ。
しかし、手拍子は違う。手拍子は「音」が出る行為なのだ。
演者の繊細なダイナミクスや、じっくり聴きたいカッティングが鳴っているその瞬間に、隣で、あるいは背後でプラスチックな打音が響けば、どれだけ距離を取ろうとも耳を塞ぐことはできない。逃げ場がないのだ。だからこそ、文脈を無視した過剰なクラップは、他者の鑑賞権利をダイレクトに侵害するノイズになり得る。
問題の半分は、オーディエンス側の思考停止にある。しかし、もう半分の責任はステージ側――つまりバンド側にもあるのではないか。
ライブの序盤、あろうことか3曲連続で、しかもAメロから安易に手拍子を煽るような極端な場面に出会うたび、言いようのない落胆を覚えてしまう。それは音楽のダイナミクスを信じることを放棄した、安易な「盛り上がりの捏造」に他ならない。演者側が思考停止して手を叩かせ、客側も「とりあえず叩いとけ」とそれに倣う。メリハリを失い、逃げ場のないノイズの暴風雨となった空間は、もはや演出でも一体感でもない。


### 7. 手拍子という名の「楽器」を、僕たちはどう鳴らすべきか
手拍子とは、観客が客席からステージに対してダイレクトに鳴らすことのできる、最も原始的で、かつ強力な「楽器」だ。
楽器であるならば、そこには休符があり、強弱があり、何より「演奏する意志」がなければならない。周りの顔色を伺うための「観測気球」としてなんとなく叩いたり、「ライブのお作法」として、安易な一体感の獲得のために1曲目から延々と叩き続けたりするものではないはずだ。
「静寂」を恐れてはならない。音が止まる瞬間、あるいはベースとドラムの静かなグルーヴにじっと耳を澄ませる時間があるからこそ、ここぞという瞬間に鳴り響くクラップが、ライブの景色を一瞬で変える爆発力を持つ。
僕たちは、思考停止の過剰供給に身を委ねるのを、もうやめにしないか。
本当に素晴らしい音楽に出会ったとき、その牙を剥く(手を温めておく)べき瞬間は、いつだって僕たちの耳と心が教えてくれるはずだ。

フェスやライブの手拍子やり過ぎ問題

言語化したくなってきた

 

まずシンプルに煩い。

イントロまでならまだしも、Aメロで客の大半かパンパンしてて歌の邪魔になってる

 

手拍子の全否定ではない

ストレイテナーのシーグラスとか、

UNISON SQUARE GARDENのきみのもとへ、フィクションフリーククライシスとか、

手拍子、ここはあるべきだよね、みたいなのはある。音源にクラップ音入ってるなら尚更。

 

ただ、そうでないのに、フェスのセトリの九割手拍子で始まるってなんなの?ってこと。

 

また、手拍子煽りが過ぎると客も煽られてなくても『スキあらば手拍子』スイッチが入る。

 

と、『リズムを無視して手を叩く客』や

『手拍子のヤメ時がわからない客』に

『呼応して』手を叩く客が現れ、結果として

『なんかライブ中の半分は手拍子が聴こえる』ライブになる。

 

 

小市民たる者

はい、岐阜の長良川を眺めながら書いています

(何度か加筆する予定なのですが、書き出しとしては岐阜で書いてます)

 

小市民シリーズ、、最終回見届けて、来月メディアコスモスぎふで行われるトークショーの参加資格も頂いてきて、それから遡りで

昨夜の最終回直前特番を長良川プロムナードで観ました。

 

まず一言、『報い』って基本的に因果応報と言うか、

やったことのツケを払うニュアンスだと思いますが、

『報われる』こともまた『報い』かも知れないな、とそんなことを思いました。

 

だって、三年前の交通事故がなければそもそも二人は出会っていないのだから。

そういう因果からの報いも確かにあったんですよね。

 

小山内さんの、愛情表現がストレートな気持ちと湾曲された表現で構成されていて、

少しラストシーンの解釈に時間がかかってしまいました。

 

「この学校にいる限りは小鳩くんが最善」みたいなことを言ってて、

さて、卒業するとなったときに、

 

「報いとして私を探せ」とする。

 

 

この行為に含まれる複数の意味が良くて。

 

・小鳩なら自分を見つけられるだろう信頼

 

・学校を卒業したって一緒にいるから覚悟しろよという求愛

 

・自分がどれだけ心配したかわかってるのか、この想いに答えろという代償の要求

 

これらがハイブリッド過ぎてただの狼の咆哮に見えてしまった、最初。

 

それだけ良い作品なのですよね。

 

さて、この二人の関係性が何に似ているかと思えば

ニアとメロみたいな2人かなと。

頭でっかちで行動力に欠けるニアと、行動力はあるが思慮が足りないメロ

(もちろん小鳩くんも行動力があり、小山内さんも賢いには違いないが)

 

互恵関係は相互補完でもあるんだよなーと。

 

何ていうんですかね、手前味噌というか恥ずかしいですけど、

そして自分も小鳩くんみたいな推理力はないですけど、

それでも「考えたわかるこんな簡単な答えを皆は何をモタモタと」

というような発想で長い事いろいろな場面で生きてきて、時にハレーションを

起こしてきたな、と半生を振り返り思いまして。

 

どうしたって小鳩くんを見ているとそういう賢さを履き違えていた自分も思い出す。

そこがまたたまらなくこのシリーズが心に突き刺さった理由なのでしょう。

 

さて、夏を迎え、まだまだ推し旅による

数々のキャンペーンで岐阜は熱そうです。

 

2025夏季限定の楽しい催しが待っている・・・!

小市民シリーズクライマックスに寄せて

この記事は小市民シリーズのネタバレを含みます

まず、申し訳ないが、氷菓も、小市民シリーズも、原作未読。

 

で、氷菓は人並みにハマり、ちゃんと高山市にも行って、

コミック版でアニメの続きにも少し手を出しつつある状況。

 

そしてもう一つ、ここ数年、自分の趣味に

岐阜駅から長良川プロムナードあたりまでの散歩、というのがある。

 

そんな自分が、氷菓と同じ米澤穂信さん原作で、

今度は岐阜市舞台の作品がアニメ化!

 

となればテンション上げるなという方が無理である。

まして、昨年は変人のサラダボウルですでに岐阜は温まっていたのである。

 

実際、いちごタルト事件の一話段階では、やはり日常に潜む謎を扱っていた。

二話の美味しいココアの淹れ方も同じくだった。小山内さんは内気だな、ぐらいの。

 

 

それが夏季あたりから「あれ・・・?」となり、

とうとう秋季には素敵なエンディングテーマ、SugaRiddle(シュガリドル)

も相まって、殆どサイコパスみたいなヤバさを発揮するに至った小山内ゆき。

 

 

勿論、今思えば巧妙なミスリードもあり、

「ヤバいには違いないがギリギリセーフぐらい」だとわかったのだが。

 

むしろトマト小鳩の共感性羞恥も凄いものがあった。

 

 

なにはともあれ、彼ら彼女らは今のところはお互いに唯一無二と再認識。

 

そしてまた冬季ボンボンショコラ事件において、

今度は普通に思わせぶりすぎてどれが伏線でどれがフェイクだかわからない20話。

 

そんな状態で開催されたのが

 

・『小市民シリーズ』×岐阜市コラボ企画スペシャトークショー

・特別上映会&キャストトークショー

shoshimin-anime.com

 

本当は午前中のトークショーから行きたかったんだ!!!

だけど!流石に!!8万も払った講座の試験があるとなりゃ

サボれないだろう、流石に。


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ついでにいえば今年ついにSAKAE SP-RINGを欠席した。

コロナで中止だった期間を除けば10年スパンで初めてではないか。

一回GRAPEVINE見たら階段に並んだダメージが出て帰宅した日はあったが・・・

 

 

とにかく、「特別上映会&キャストトークショー」だけは行けました。

 

「ちゃんとお金を払った」方のイベントですね!

(梅田修一朗の言い方ちょっと間違えちゃったやつ)

 

 

やっぱり作り手や演者の話を聞くのって凄く良くて、

どう思って演じたか、みたいな話もそうだけど、視聴者が思っていること

やっぱり演ってる側も感じているんだね!!っていうのも楽しい。

 

石神愛子アナウンサーも、まあ最近のこういうイベントの司会する人は

大体そうだけど、「頼まれたからやってます」感なくて。

ちゃんと母校が岐阜北高校っていうルーツ的な説得力もあったし、

何より作品に対する解像度が高かった、素敵。

 

やっぱりあの「トマトもらうね」ってやべーシーンだったんだよな、とか。

小山内ゆき採点コーナーの怖さとか。

 

「英語のほうがかっこいいと思った?」はヤバい。

ファイヤーマン(別にあいつはファイヤーマンじゃないが)のライフはゼロである。

 

聖地巡礼マップのふりがなに英字がない(偶然らしい)というオチまで完璧。

 

何ていうか、あんまりあの作品はないだろうが、

「ファンもいるからキャラをあまりイジれない」ようなパターンも有るが

もうあれは小山内ゆきの中の人がイジってんだからしょうがないだろと。

背後のスクリーン上で上手(かみて)にハケていく瓜野くん・・・

 

あんなに皆で同じアニメのシーンを見るのが楽しいものか。

石神さんの「レアなオーディオコメンタリー」的な発言も頷ける。

 

 

何より収穫だったのは小山内さんの左の耳に髪の毛をかけたのが

瓜野くんの付き合い出してからで、それが戻るのが

小鳩くんと再開した直後(アクシデントで戻る演出)っていう・・・

 

なんだっけ、「私に恋を教えてモード」?

アニメ演出って凄いんだな、ということを再認識しました。

演出やってる友達にも今度語ります。

 

 

さて、終わってからは他の皆さんで王道の聖地は混むと思ったので

「堤防道路」を目指してみましたが、あれ鵜飼大橋じゃなく、

長良大橋なんですね。完全に見当違いでした。

 

 

なので、ちょうど見つけた、名古屋市にはないハンバーグ屋さんにて

(もっとも、こういう自分で焼くハンバーグの店自体は珍しくなくなったよね)

岐阜市PayPay10パーセント還元の恩恵を受けて夕飯。

 

そこからは長良公園からレンタサイクルで駅まで30分で戻り。

 

7月、まだまだ小市民シリーズと岐阜市の展開は続くじゃないですか。

楽しみです!!!

 

メディコス二時間も!!!

 

 

Geminiおばあちゃんに聞いてみて!

いやこれ、俺がおばあちゃんでは?

 

Geminiおばあちゃん、こんにちは!鎌倉の1日観光、張り切っておすすめルートを案内するね!
鎌倉は、歴史と自然が豊かで、見どころがたくさんあるから、欲張っちゃうと大変だけど、今回は「これだけはおさえておきたい!」という定番と、おばあちゃんらしい(?)ちょっと休憩できる場所も盛り込んでみたよ。
【鎌倉1日観光おすすめルート】
テーマ:歴史と自然を満喫!定番&ちょっと一息、癒しの鎌倉旅
朝:鎌倉駅周辺の歴史的建造物を巡る
* 9:00 鎌倉駅到着
* まずは、小町通りを通って鶴岡八幡宮へ向かいます。お土産屋さんや食べ歩きのお店がたくさんあるから、誘惑に負けそうになるけど、ここは我慢してね!
* 9:30 鶴岡八幡宮(参拝&散策)
* 鎌倉のシンボルとも言える神社。源頼朝ゆかりの場所で、歴史を感じられるよ。舞殿や本宮など、ゆっくり見て回ってね。
* 源平池に浮かぶ旗上弁財天社も風情があって素敵だよ。
* 11:00 報国寺(竹の庭を散策&抹茶)
* 通称「竹寺」として知られる報国寺。美しい竹林は一見の価値あり!竹林の中を歩くと、心が洗われるような気分になるよ。
* 竹林の奥にある茶席で、お抹茶をいただくのもおすすめ。静かで落ち着いた空間で、心身ともにリラックスできるわよ。
昼:長谷エリアへ移動&大仏様にご挨拶
* 12:30 報国寺から長谷寺へ移動(バスまたはタクシー)
* 報国寺から長谷寺までは少し距離があるので、バスかタクシーが便利だよ。体力に自信があれば、歩いても行けるけど、午後に備えて温存するのも手だね。
* 13:00 長谷寺(観音様参拝&展望台からの眺め)
* 「長谷観音」として親しまれる長谷寺。十一面観音菩薩像は圧巻の迫力だよ。
* 見晴台からは、由比ヶ浜相模湾を一望できるの。天気が良ければ、伊豆大島まで見渡せるわよ。
* 境内のあじさい路も有名だから、時期が合えばぜひ見てほしいわ。
* 14:30 鎌倉大仏高徳院)(参拝)
* 鎌倉といえばやっぱり大仏様!間近で見ると、その大きさに圧倒されるはず。
* 胎内巡りもできるので、興味があればぜひ。
午後:由比ヶ浜周辺を散策&お土産探し
* 15:30 由比ヶ浜(散策)
* 海辺を散策して、潮風を感じてみない?天気が良ければ、富士山が見えることもあるのよ。
* ちょっと疲れていたら、カフェで海を眺めながらお茶するのも良いわね。
* 16:30 小町通りでお土産探し&食べ歩き
* 鎌倉駅に戻って、行きには我慢した小町通りをゆっくり散策。
* 老舗のお菓子屋さんや、可愛らしい雑貨屋さん、鎌倉野菜を使ったグルメなど、魅力的なお店がいっぱい!お土産選びも楽しい時間だよ。
* 疲れたら、カフェで一休みして、旅の思い出に浸るのも良いわね。
夕方:鎌倉駅出発
* 18:00 鎌倉駅より帰路へ
* 楽しい1日もあっという間ね。鎌倉の思い出を胸に、気をつけて帰ってね!
【おばあちゃんからのアドバイス
* 歩きやすい靴で! 鎌倉は坂道が多いから、スニーカーなど歩きやすい靴で来てね。
* 水分補給を忘れずに! 特に夏場は熱中症対策をしっかりね。
* バスやタクシーも活用して! 無理せず、移動手段を上手に使ってね。
* 休憩も大切に! 疲れたら、カフェなどで一息入れる時間も作ってね。
* 事前に調べておくとスムーズ! 行きたいお店や場所の営業時間などを調べておくと、効率よく回れるよ。
* お守りや御朱印集めも楽しいよ! 旅の記念になるわね。
このルートはあくまで一例だから、おばあちゃんの体力や興味に合わせて、自由にアレンジしてみてね。
鎌倉の美しい景色と美味しいものを存分に楽しんで、素敵な1日を過ごしてきてね!いってらっしゃい!

 

 

THE SECONDの話

最初から最後までフジいじるの面白いな、まさか普段フジの悪口ネットに書いてて

「芸人に罪はない」等とか言って観てるやついねえよなぁ?

 

囲碁将棋、二本目はそんな好きじゃないけど、何より三本全部毛色が違うの凄いね。

 

マンウィズが最高得点の漫才のオチになるぐらいのバンドになってるの、ジーンとするな。

 

 

決勝のネタ、安易な伏線回収漫才に中指立てて好き。

 

ブチャラティ

 

ツートライブも二本目が弱い。ただ、ツッコミが本当に「さも連れから今面白い話を聞いた」リアクションをするのなんか好きだなー。

 

「本当に美味しい肉は固くてまずいぞ」で締めたのはエンタメわかってる。

 

 

高橋ひかるが可愛くてお笑いわかってる。

渋谷凪咲もいてもいいのに。

 

まさかの花澤香菜、ゴールデンタイムのフジ生放送来れない!忙しい!

それか今のフジだから!

 

 

ザ・ぼんちマシンガンズ、どっちもやっぱり聴き取りにくいっていうのはそこも含めて面白さあるとしてもキツイかな。

 

ただ、「面白くない」と思ったコンビが一組もいない賞レース凄い。

 

金属バットも二本とも面白かったなー。

友達、佐々木亮介もいるよ!

でもホルモンよりは弱いよね。

 

はりけーんず、「富士山!」は電気グルーヴになってたよね。

 

吉田たちの双子漫才も双子というギミックに頼りすぎないつくりで凄く良い。ダイタクより好き。

 

ガクテンソクのビジネスホテルネタは

遠征民はマジであるある!だったよね。

 

決勝は囲碁将棋かな?と思いますけど、

あとは文句ないです。

 

逆に囲碁将棋の二回戦は弱かった気がするしね。

 

最前列の金髪ジャージのひと可愛かったですね