ヴァイオレット・エヴァーガーデン

一つ前のエントリでNetflixに入ったと書いたと思うんですけど、

Netflixにはヴァイオレット・エヴァーガーデンも配信されているわけで。

 

けいおん厨だったものの、境界の彼方は肌に合わず、

氷菓は楽しんだものの聲の形は原作を知っているだけに

心が衝撃を受けることを恐れて避けて。

 

というわけで久々の京アニ作品だった。

去年の事件の後、お別れの場まで行ったせいで

むしろ最新作から距離を置いていたのかもしれない。

 

火曜水曜で本編を観て、木曜にエクストラと外伝を観て、

金曜夜に劇場版を観て、濃密なヴァイオレット・エヴァーガーデン

過ごした一週間ってな感じだったけれども。

 

本編がヴァイオレット・エヴァーガーデンの再生を描く物語だとすれば、

劇場版はヴァイオレットが心の底に常に大切にしていた気持ちを解き放つ物語・・・

という風に思える。ただ、違うテーマとして強く感じたのは、

劇場版は本編や外伝以上に「伝える物語」だったということ。

 

自動手記人形の話なんだからそりゃそうだろ、と言われるとその通りなんだけど、

今までの手紙というコミュニケーションだけじゃなく、

壁越しの会話、物言いから来るすれ違い、電話、電信・・・

そういう、ありとあらゆる伝達の難しさ、素晴らしさをたくさん見せられたなと。

 

ちなみに本編ではアンちゃんの50年届く手紙はもちろん、

アルベルタの深い愛に涙しました。

 

特に電話を単なる世代交代を告げる象徴ではなく、

電話には電話の良さがあるってしっかり描いたのは良くやったなと。

手紙や自動手記人形の素晴らしさより大枠の、伝える素晴らしさ、尊さという

ステージまで行ってるんだなと思った。

 

そして最後のサムズアップはもう・・・そんな形で彼の欠片が

残り続けているなんてさあ、ジーンと来るしかないよね。

 

しかし・・・自分の年齢のせいか、そういう描き方なのか、

完全に目線がヴァイオレットちゃん可愛い!というより

うちのヴァイオレット、立派になったなあ・・・

おめえうちのヴァイオレットちゃんになんて酷いことしやがる!

(社長の大馬鹿野ぉぉぉ郎、最高だった。子安武人バンザイ)

 

という目線に終始なりますよね。

 

 

微妙にサブキャラたちのその後みたいなのも気にはなるんだけど。

スピンオフや番外編はいつでも歓迎しつつ、良い伝記を読み終えました。

教科書に載せていい偉人、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。

そして京都アニメーションの魂、見せてもらった。

 

 

あれから一年少々、出てきたものが「あいしてる」とは恐れ入ったよ、本当に。

俺も愛してる。