昨日の講義でついでに言ってたこと

「女性の地位向上は賛成です、女性が身分が高いからこそ、
低い位置にいる男性は自分を高めようとする。ヨーロッパの古典文学の王道でしょう?
異性に抱く敬意は憧憬であり、純粋なリスペクトは成立しないですよ中々。」


はあ、シェークスピアか何かですか。
この言葉と山中さわおの詩世界とか書こうと思ったらもう行かないとって時間ですのでまたあとで。


まあ、詩世界ってほとでもないですが、巴里の女性マリーって曲は多分
昔の恋人(同郷)が今は金持ちの彼女になってて自分は売れない絵描きのクセに未練タラタラって
曲ですけど、あの曲って自分を(特に地位的な意味で)高めようとはしてないよね。


昔の思い出とか、今のドレスなんかより昔のワンピース姿が良かったとか後ろを向きつつ、
君の肖像画を描くよとか、キミの今の男は・・・とか女々しさを撒き散らし、
「僕しかいない ねえ そうだろ?」とか言っちゃった上に
「いつかあの町に帰ろう 荷馬車に揺られて」で締める・・・
書いててどうかと思えてきたが、
ここまで極端じゃないにせよ、向きとしてロックというのは
「身分差なんて知るか」というスタンスということで(検証せんでもわかるわんなこと)


あまりシェイクスピアは、あるいは中世文学は、俺向きじゃなかったと。