ダークナイト・ライジング観てきた

流石にまだ観ていない方が多いと思うので楽しみを損ねない程度で。



まずわんさんからの受け売りですが、ビギンズ→ダークナイト

双方の予習・復習必須。

「誰だっけこいつ」

「なにの話だっけ」

ってかなり多くなると思いますよ。


ダークナイト」という映画は傑作ではありましたが、
バットマン・ビギンズの続編として考えた時に
やや閑話休題だったと言うか、本来のテーマは
横に置いた上で新たなテーマを色々と提示されたものだった気がします。


つまり、「正義とは何か、では悪とは何か」です。


もちろんビギンズでも「それは復讐か、正義か」というような
問題提起はされていたと思うんですけど、
ダークナイトはその根幹すら砕いてしまった。


勧善懲悪を超えた作品は昨今珍しくなかったけど、
善と悪、白と黒がひっくり返ったり揺らいだり消えたと思ったら瞬いたり。
そこが革新的だったんじゃないかなあと思いました、改めて。


さてこのライジング、決して「ダークナイトの続編」であろうとせず、
言い換えればそこに留まろうとせず、あくまでもビギンズから始まる
三部作のフィナーレとして完成されています。


これはダークナイトがヒットしたからこそ凄いこと。
勿論ヒース・レジャーが生きていたらあるいは
違っていたのかも知れないけれど。


ダークナイトにおいてバットマンは苦悩し、
自分が必要のない街になれば初めて開放され、
幸せが訪れる・・・そう考えていました。


しかし、ジョーカーによってそれが
どのような結末を迎えたのかは知っての通り。

ただ、冒頭のダークナイトとライジングの間を埋めるプロローグ部分では
「えー、あのあとそうなったん」って程度には驚きましたけどね。

同じアメコミヒーローのスパイダーマンと比較した時、
まずバットマンはガジェットは多数あるものの地味であると思います。
あくまでハイテクの延長線上にある武器どまりで超常現象はない。

バットマンのゲームをやると実感できますがこっそり倒すのが常套手段。

ただそういった表面的なところだけではなく、
スパイディは警察と対立することもありつつ、
基本的には「俺らのスパイディ!」って街から愛されています。

それに対してバットマンに対するゴッサム・シティの面々の
気持ちは本当に情勢でコロコロと変わる。
恐れて、憧れて、忌避して、闇に葬って。疎む。

それが人の心をリアルに表現していて、実際にコスプレしたヒーローが出てきたら
こんな風だろうな、というのがキック・アスとはまた別アプローチで描かれる。

さあ、そんな色々を背負ったバットマン、今回はベインという悪役と戦います。
これが強い。バットマンより強い。恐ろしいですね、怖いですね。


ヒーローがヒーローを辞められる時はどんな時なのか。
それはラストシーンを観ればわかるんですね。


是非、この、ダークナイト・ライジング、最後まで、御覧ください。


それでは、さよなら、さよなら、さよなら。


(このネタが通じる世代も少なくなってきた)