本質的なところで

他人全般に対する、か俺に対する、かよくわからないが、
深い理解と理解しようとする姿勢と適応力。


それがある人間は好意と敬意に値する。


どこまでが意識的でどこからが本能的であるかはわからないが。


そうだ、あの日は結局タカシマヤでは
食べずにJRのきしめんを食ったんだった。