人の悩みに乗るということは言うほど簡単ではない。
特に「共感」を主として人の話を聴く自分は、
どうしてもそのダウナーに飲み込まれがちである。
もちろんエネルギー保存の法則のように
きっちりと定量のマイナス思念が
俺へ移動するわけではないし、
愚痴りあった場合は両者からそういうものが
ある程度抜け出るということもあろうが。
俺が日頃より唱えるギブアンドテイクとは
その場での取引だけを求めているわけではなく、
あくまでもいつか、俺が吐き出さずには
いられなくなった時に受け止めてくれればいいな、
ということも含まれております。
あるいは何かをくれてもいいです。
物理的なものでも、精神的なものでも。
ただ一方的に与えるだけってのも時には良い。
けど、続けていれば間違いなく狂ってしまう。
何かの形で報いは必要なのです。
その場で見返りを求めるだけでは
浅いことも理解した今だからこそ
そう強く思っているのかも。
なんてことを誰かの悩みを聞いて思った。
あまりにもそれはいつかの自分の状況と似ているから。
ここで俺が何かを受け止めて何かを与えられているなら、
それはいつか誰かが俺の下らない想いを
受け止めて代わりに何かをくれたから、
に他ならないんでしょう、きっと、たぶん。
いつかは返してもらうから、遠慮なく受け取れ。
そういうスタンスで生きてます、日々。
それをつまんないヤツだと思われてもしょうがないけどね。
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二月ぐらいに書いたらしいです。
最近も同じ事書いたような。
「焼け石にかける水なんて誰が望みたい?」
って聞かれても、心のどこかで望んでいたから今があるじゃない。
少なくとも結局、その時には水にすらなれなかった人がいるからじゃない。
今年は表面的には否定や批判をしつつも結局放置できず、
甘味も享受せずにはいられない、そんな自分が露呈した年であったなーってところですね。
誰かの代わりはいない、なんて奇麗事ですよね。