時に1997年

13歳の僕はクラスの中では勉強が出来るほうで、
漠然と良い大学を出るもんだと思ってたし、
プライドはそれなりにあったと思う。


五教科以外がてんで駄目なのがまたそれに拍車をかけていたな。


まーでも出る杭は打たれるというか、
一部の人間には絶対に嫌われるタイプだったので、
そらもう凹まされたわけだ。


そんな時期に「新世紀エヴァンゲリオン」ですよ。


ハリネズミのジレンマ」とか、そんな
「ちょっち知的」フレーズなんかに夢中だよね。


俄かに起きたアニメブーム、当時買ったムック
「SFアニメが面白い」なんかの小難しいアニメ論なんて斜め読みして。
(ちなみに借りパクされてまた180円で古本で買った)



中学二年になったらなったで些細な事で
クラスでもタチの悪いやつに目をつけられ、
後々高校生時にカツアゲされるまでの因縁になるし。


3年になりゃ2年までの友達全員違うクラスとかよーwwww
最初の輪に入れてもらうときどんだけ緊張したと思ってんだよwww


修学旅行までに間に合ってよかったよ、友達作りがね。
でもやっぱりイチイチ俺に突っかかってくるヤツいたなあ。


あの時の俺ってそんなに目障りだったかねえ?



学校に行くのが億劫で仕方がなくて、
特に隣のクラスのやつらのいる体育の時間は最悪。
次の日が訪れるのが少しでも遅れるように夜更かしして。


でも電気は消さなくちゃいけないから、
ラジオを暗い部屋でイヤホンを使って目を閉じて聴いていた。


時々共感できる話のときは泣いていた。


綾波で13回ヌきましたよー」は意味がわからなかった。


ときめきメモリアル」の声優の中で喋りがまるで駄目な人がいた。



その時にサクラ大戦宮村優子林原めぐみも知った。


the pillowsのRide on shooting starを
初めて聴いたのも林原めぐみのラジオであることを考えると、
この時期というのは俺の人格形成にとって重要であったんだなあと思う。


そして、この時期に友達って良いもんだよな、ってことを本当に痛感した。
・・・そのくせ中学時代の友人自体は誰も残っていないわけだけどさ。


塾では「マジメ」があだ名だった。


逆なんだよ。塾でしかマジメにやんねーんだよ、俺は、ってね。


まあ、それも嫌な奴等が同じクラスに上がった時点で
いよいよ胃痛がひどくなったので逃亡した。
高校には推薦で行った。


気付けば普通科に入れないほどの内申点であった。
でも、これから流行しそうなコンピュータ系の
勉強が出来ると聞いて
二つ返事でその学科に決めた。


そう、それは僕にとってまだ世界が暗かったときの話。


そして高校の始業式の日、帰り際のグラウンドで
丸山「聖戦士ダンバインって知ってる?」


to be continued.