the pillowsの詩世界は退化したのか?

ピロウズを語る上ではその音楽性ももちろんだが、
詩世界も外すことはできない。


で、たまにスレを除くと
最近は昔みたいな神歌詞が書けないと。


さらに言うと悪くなったと。


確かに昔みたいな歌詞は書けないと思う。
だけど、それを説明する言葉は
退化や後退ではなく進化であり前進ではないだろうか。


例えば、デビュー当時の曲である
「キミと僕とお月様」と最近の曲「Beehive」での
月の見え方に関する箇所であったり、
「ICE PICK」と「バビロン 天使の詩」での
『こことは違う世界』に対するアクティブさであったり。
「ninny」と「My girl」での心境の変化だったり。


世界と自分とのズレに端を発する、
昔の儚げな、陳腐に言えば純粋な世界は
確かにとても美しいものであったことは間違いない。
人間で言うなら思春期あたりの。


では今の世界と自分とのズレを認めつつ、
それを飄々と生きていくようなベクトルには
美しさがないのか?



と言えばそれは断じて違うと思う。
悩むばかりが少年の仕事じゃない。
元気に歩く姿もまた美しい。


最近の周囲の評を見てて評価の高い
「狙うライフルには宙返りのサービスを」なんてのは、
その飄々さ加減が如実に現れたとてもいい詩だと思う。


夜明けの瞬間を滑走路で待ち続けた彼のその未来は今、
重力に逆らって飛ぶ鳥になった。


別に全てにおいて今のピロウズ
肯定すべきとは思わないけど、
クッキリと今の方が下、って考えには同調しかねるので。


あと、確かに最近の詩でも
「扉は潜り抜けられないだろ」とか、
「10年間夢に出るのは流石に数字大きすぎでは」
「とか角出したり尻尾出したり」てwww
とかあるんですけれども(笑)


昔だってドラキュラに噛まれたっていいぜとかあるじゃん!