まあ、最近そういう話題を用いなかったかもしれませんが。

卒業式に蛍の光仰げば尊しを強制する必要は確かにないですが、
蛍の光が戦争を想起させる」というならば、
例えば他所の国の国歌はそんなんだらけです。


まあ、時代に合わないならば歌わないのも卒業式の歌としては別に自由だろ、と思うけど。


しかし、国歌については、歌うべきとは思いますが、
本来であれば歌うのを強制させるとかさせないではなくて、
自然と歌うのが当たり前っていうのがいわゆる独立した国家のあるべき姿なわけで。
法律で歌わせるなんてのはそういう意味で見当違いだし、それは左翼的視点から見れば
言語道断だしナショナリズムという観点からも意味がないんですよ。


強制されて嫌々歌うものに愛国心など宿りませんから。


次に国のために尽くすことの意義ですが、これは国を何と見るかに左右されます。
政府や政治家の延長線上に日本という国を見ればそりゃなんだか何も捧げたくない感じだが、
自分も家族も友人も政府すらも内包する空間としての日本という国。
そういう視点で見れば選挙に行くのも政治批判をするのも平和のためのデモだろうが
核武装肯定論だろうが国に尽くしていることになるわけですよ。
もちろん納税も労働も然りです。


そういう意味で俺は国に尽くすことを肯定するし、
まあ右よりの考え方なので平和のための武装もある程度容認すべきだと考えますね。
ただ、アメリカ追従はともかく、周辺諸国への対応はとても右翼なんてレベルまで行ってません。
アレでリベラル、ようやく国際的にはマトモな対応だと言える、と俺は判断しています。


というようなことを改めて表明しておきます。