人は星になる。心の炎は消えない。

どうも僕は効率主義と言うか、無駄がないことが好きと言うか。
一人旅が好きな理由の一つに、「詰め込むだけ詰め込んで文句が出ない」

ということもある。

今回の京都出張、最初から16日は早々に作業が終わり
予定が空くのではないかと踏んでいたし、
実際土曜の作業は16時で終われたので、実に5年ぶりに
五山送り火、いわゆる大文字が見られると確信していた。



そして今朝、仕上げの作業のため出張先へ移動中に
母方の祖母の兄が危ないと知らせを受け、一寸悩むが、
やはり最速で家に戻り、15時からの見舞いに行った。

しかし、集中治療室で眠っているため会話はかなわず、
経過観察であった。どうしても、どうしても僕は思ってしまう。

「別に今夜一杯は帰らなくても関係なかったんじゃね?」


と。


なんだかんだ小さい頃は特に面倒を見てもらっていた人だというのに。
ここに僕は自分の冷たさ、ドライさをまた知った気がした。

でも、この葛藤は書かねばならない気がして。

今年でなくても、伯父にかぎらず、人は死ぬ。

僕は人の死や体調も要素の一つとしてしか
計算出来ん人間なのかも知れないな。


ただ、僕はこの二日間ないしは三日間の頑張りを。

ギャラリーの喧騒と静かに燃える炎に労ってほしかったんだ。
職場のみんなとおつかれー!って終えたかったんだ。

僕は来年、ダメなら再来年、ダメならその翌年、
再び大の字を見る日までこの火を消さない。