もう一年が経ちます。

正確には多くの人が志村正彦の死を知ったのは25日だったと思いますけどね。


THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのライブが磔磔で行われて、
あの日僕は、Twitterに「アベフトシ生きてるじゃないか!」と叫んだ。


それから10数分後、京都駅東の交差点、メールの着信。


「どうしよう・・・志村が死んじゃった」


シンプルだった。その人が志村と呼ぶのは一人しかいないのに、
それでも僕は違う人のほうを思い浮かべようとして。



だけど、mixiTwitterも正確に、この時ばかりはデマではなく、
ただ真実だけが降りてきた。その時餃子の王将で食った飯の不味かったこと。


ホテルにチェックインしても、ただ酒を飲みながら、
Messengerで連れとただただただただ嘆いていた。


午前二時を過ぎて銀河を聴きながら日記を書いた。


たくさんのアーティストが亡くなった2009年、


天国ではさぞかし豪華なバンドが結成されているね、なんて。



そんな冗談も笑えないほど疲弊した。


この世界は美しくて、生きていることが基本的に嫌じゃない。


それでも足りないことがあるならば、それは志村がこの世にいないこと。


実は、そういう感覚は今でも持っている。


皆が言うように、フジファブリックのCHRONICLEは
志村がまるで自分の運命を知っていたかのように別れの歌が多い。


タイムマシンを持たない僕らはCDを再生して、
天国のドアを叩くことしかできない。



そんな色々は僕を蝕んで、人を傷つけてしまった。
フジファブリックについてネットニュースで記事を書いた人を。


ここだけの話、僕はその人が羨ましかった、いや、妬ましかった。


志村正彦の訃報について、正直なところ自分よりずっとファンではない人が、
記事を書くのが、とても、悔しかった。それが本音である。


それなのに、その程度なのか?そういう気持ちだった。


稚拙だったし、早計だし、ガキ臭かった。


そんなところで情熱を燃やしたとて、
もう届けたい相手はこの世にいないのに。


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そんな陰鬱なまま、歪んだ愛情を時々発露させつつ、
僕は富士急に行った。


あの時、志村正彦以外のメンバーが揃っているフジファブリックを見たとき、
志村正彦ではないシンガーが歌う光景を目にしたとき、
やっとわかったんだ。志村正彦がこの世にいないって。



だから、ようやくなんとか冷静に色々を判断できるようになったと思っている。



フジファブリックが続いていくことは素直に嬉しいよ。


でも、志村正彦フジファブリックはもう、MUSICで最後だろう。


彼は普遍的な名曲が作りたかったらしい。



表題曲MUSICは、まさに春夏秋冬に人生の縮図を詰め込んだ、
人生に寄り添う曲だと思う。奇しくも僕は、
件の記事を書いた方に言ったのだ。


「春夏秋冬の全てで彼を感じる」と。



本当にありがとうございました。


これからもよろしくお願い致します。


あなたの音楽を、愛しています。