ポリシーは自分の法典

普通は自分が何か行動をする前、した後に法典を参照して自分への判定を下し、
後悔したり反省したり自賛したりする。
だけど、その上であまりにその過失が重大すぎると本能が感じた場合とる防衛本能、
一つは無理やり現状を都合のいいように解釈すること。
自分でも『やべー、やりすぎだと思うがしかし、相手はこういう過失があったので
そこで減刑されるっていうかむしろありだろこれ!』
となるような場合。



それすら無理になってくると究極、
それはポリシーの方を書き換えるということ。
現状がこうなのですが、実はこれが自分の理想系でした。
よってなんら問題はない。反省の必要もない、望んだとおりの思い描いた結末だから。


と、自分を納得させる方法。
「柔軟な思考」との相違点は自己防衛本能なので書き換えた自覚がない。
欠点は周囲から見ると言動に一貫性がないことがバレバレになるという事だろうか。
壁に当たるたびにボーダーラインもポリシーもベクトルも書き換わるので
どうしようもない。法律が毎回総チェンジするものに判例は使えない、というわけです。