交響詩篇エウレカセブン〜ポケットが虹でいっぱい〜


徒然と書きます。


んー・・・なんとも・・・
原作と設定もストーリーも違うことは事前に把握済み。


実際、序盤のハイテンポなストーリーと、
原作を知っているからこそニヤリとする
アレンジは中々良かったと思う。
(ホランドの写真とか、ニルヴァーシュが戦功を立てた映像とか。)


ただ、オチが・・・また。
どうしても素直なハッピーエンドは嫌なのか?


だってさ、「記憶」って人の大切なものなワケで、
それを失くしても生きて欲しい、そういう想い自体は尊いけど・・・



その展開になった直接の要因があの二人が小悪党みたいに
なってつまんないことしたせいってのは・・・


最後にそういうオチにしたい、だからレントンには大怪我させたい、
それありきであの二人にそういう役がたまたま回ってきた感じじゃないか。



ヱヴァや劇場版Zガンダムと違って、旧作品のカットを使う必然性もなかっただけに、
確かに割と上手いんだけど、たまにMADを観ているような感覚になったよ。
最後の「校長先生と子どもたち」なんて必然性全然なくて、
元のしんみりしたシーンが割と破壊されてるよね。


あの二人とデューイなんて監督が嫌いだとしか思えん。


(スタッフロールで「校長先生」で吹いた)


レントンの両親がアドロックじゃなくなってたのはまあ、ありかな。


音楽は逆に殆ど新曲で、それもいいだろう。
でも、TV版のぞくぞくするような使われ方が一切ない。
カットでニヤリとさせるなら音楽でさせない道理はないと思う。


ホランドが意地になった理由、それがあの事実を契機に引き下がった理由、
このあたりは良く描けていたし納得はできる。


ただもう、「ネヴァーランドへの到達」については何もかもイライラする。


まず、ドミニクとアネモネがTVで言うサクヤたちのように
「先達」としてエウレカレントンを激励する、
この場面自体はとても良い。


そこでドミニクが"あの言葉"を伝えるのもファンとしてはニヤリ。


でも、その後のレントンはただの火事場のバカ力で、
そのまま瀕死になっちゃうってのはどうなのか。
(あの辺りはエヴァの「男の戰い」だろうな)


また、「ドーハの悲劇」で見たという世界は
おそらくはテレビ版の「あの世界」を示唆していたと思うが、
その辺に関しては有耶無耶になってるのは勿体無い。


で、エウレカが色々なものを犠牲にしてもレントンを守りたいのは良くわかった。
けど、それを犠牲にすると瀕死のレントンが蘇るのはどういうこった。


結局ネヴァーランドは「あそこ」だったわけだが、それは安直なのでは・・・
あの丘も花も最終的にはおまけ的扱いだし。


尺の都合もあるとは言え、ムーンドギーたちに
スポットライトはまるで当てられないし。


マシューのDJっていう設定もヒルダとの関係もどーでもいいし。


どうせなら「アイキャン、フラァァァイ!」も欲しかったし


TV版より世界全体を眺めると救いはあんまりないし。


デビルフィッシュはカッコ良かった。エウレカは劇場版クオリティと
ある程度普通の女の子化していたのが新鮮でこれも良かった。
幼生ニルヴァーシュとThe ENDはもきゅはきゅたまらない。

それでなんとか観れる映画だったかなあ・・・



パンフがまた中身がねーなこれ!


映像は「凄い」けど「かっこいい」わけじゃない。この差は大きいさ。